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日本を離れてお散歩中


50歳からの海外就職 ノマドシェフになるまで六話目 メキシコまで。。

これは、50歳を過ぎてから海外に出てシェフをしているわたくしの記録です。

も、六話目になりました。

 忘備録的な感じかもしれませんが何かの参考になれば幸いです。

今回はラオス面接の続きです。

一話目から五話目まではこちら ↓ ↓ ↓

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いよいよ面接、調理テスト

秘書のお方は「女芸人のハリセンボン」に似てた

 

前回は、調理テストを受けるために前日にラオス入りして、すっかり、自分の目的を忘れてるんじゃねっか?みたいな道中でした。

 

先方には、前日入りしていることは行ってなかったので、お迎えのドライバーにピックアップしてもらうために、わざわざ、乗るはずだった飛行機の到着に合わせて、飛行場に行きました。

面接だっていうのに短パン、タンクトップ、ビーサンで、、

 

その会長の会社のビルに行き、テキパキした秘書の方(ちょっとおんな芸人のハリセンボンに似たかんじ)に社内を簡単に案内してもらい、昼飯をご馳走になり、「時間まで小一時間ありますが、どこかみたいところありますか?」と聞かれたので、即座に「マッサージ行きます!」と答え、ラオスマッサージ行っちゃった。

 

調理テスト

会長に会う前のマナーとか、なんか色々と説明を受け、いざ、御邸宅へ!

 

どど〜ん!と、そら、もう立派な上に万全なセキュリティの御宅。。

 

日本での専属料理人の方がいらしました。(ちょっと小動物みたいなかんじで、とてもおどおどした初老の方)

ラオス人の女の子をアシスタントにつけてもらい、三時間で7品くらいを作り、会長のおかえりをお待ちするらしいです。

 

前菜から始まり、野菜やら、お浸しっぽいもの、煮込み料理、焼き物、汁物、最後はリクエストにあったパスタで終了。。

 

会長の到着時間が近づいてきましたら、、

そん時が一番びっくりしました。

 

全員が、秒刻みで、メッセージをやりとりしていて、

「あと、何歩で、門をくぐる!」みたいな会話をしているのです。

そして、全員直立不動で、

 

会長!おかえりなさいませ!

 

と、お辞儀をする角度も皆さん一緒。。。すげぇ。。。

 

そのお方は、初老という年齢にもかかわらず、とても紳士的な若々しい颯爽としたいでたちです。

食事の前に面談ということを秘書さんから聞いていたので、、

早速面談です。

柔和な笑顔の中にも眼光だけは鋭いかんじ。。。

 

面談の大方の内容は、私の履歴を見て知った、20代の頃にデザイナーの修行をしていた頃のボス(パリコレ、大御所)のことで、なにやら、同じジムに行っていたとか、仲がよかったとか。。。ってことで、10分くらいそんなやりとりをした後、キッチンの戻り、食事会のサーブです。

 

トントンと進み、全てのサーブが終わる頃には飛行場にいかなければならないギリギリの時間になっていました。

感想の聞く暇もなく、「お粗末様でした〜!」とお辞儀だけをして、帰路につきました。

 

あんなに

"絶対に会うことすらやめたほうがいい"とか言われていたお方は、

さすが、一代で財を築いただけあり、インテリジェンスで、エレガント、頭の切れる方なんでしょうなああ、、という印象でした。

 

ハノイに戻る飛行機の中では、ラオスのちょうど良い田舎風ののんびりさ加減もあり、

「あたくし、ラオスにきても良いかも。。」

と思ったくらいでした。

あまりにも周りから、反対にあっていたので、最初の"落ちる気満々"、"受かっても辞退する気満々"で、短パン、タンクトップにビーサンで挑んだことに少し、

後悔したくらいです。(と言ってもそれほどの後悔ってほどのことでもないんだけど。。)

 

面談、調理テストの結果とメキシコ、ケレタロ

ハノイの戻り、日々の業務を続けます。(辞表はいまだ保留中。。)

そうそう、ハノイから戻ってすぐにエージェントから連絡がありまして。。

 

エージュエント:「どうでっしゃろ?もひとつ面白そうな案件あるんですが、、うち、掛け持ちで履歴書出せるサポートもしてますねん。ラオスの結果待ってる間にどないでっしゃろ??」

わたくし:二つ返事で「OK!!!のる、のる!!」

エージェント:「メキシコ、ケレタロですねん」

 

はあああ〜〜〜???メキシコ??ケレタロ???

 

人生の中で、メキシコなんて単語、何回出てきたかしらん??意中外どころじゃないし!!

 

ってか、エージェントさんよ、あんた、あんなオモロイ、ラオス案件持ってきたこと自体、あんた、何者〜??ってかんじだったのに、今度は、メキシコかい!

って感じで、、しかし、ノッタからには、そこは尻軽、、じゃなかった足軽?だけが取り柄のわたくし、数時間後には、メキシコ案件のための履歴書を作成して、エージェントに送りました。

 

そうこうしているうちにラオスの結果がきました。

 

ど〜ん!ラオスの結果発表!!

 

。。。。負けた。。。。

 

30人ほどの応募の中で最後の二人まで残っていたとのことでしたけど、、負けは負け。

 

短パン、ビーサンが敗因だったのか、いやいや、もちろん、全力は出し切ったものの、やはり"落ちる気満々"で挑む勝負は、オーラに出るもんでしょう。。とか、やはり、全方位的に"YES MAN"に見えない風体のわたくしははじかれるものでしょうね。。とか、勝手に納得をした負け戦でした。

 

でも良い体験したなあ〜〜。滅多に会えない世間を騒がせたお方と会えたわけだし、そういう人の背筋の伸ばしっぷりと、想像を超えたインテリジェンスなオーラを体感したわけだし。。

ってか、やはり、ワイドショー張りの世間体の噂話しで、人なんて判断しちゃいけませんよっ!って話し。。それなりに世間を騒がした人は、それなりの経緯と判断力と、兎にも角にも人をかどわかすだけの魅力がある。。。

 

負け戦にも福をもらった。。。

みたいな妙に清々しい戦でした。

それに、あたくし、

案外、シェフになってきてんじゃね?みたいな自信もいただけました。

 

メキシコ、ケレタロとドイツ、フランクフルト

実は、メキシコ案件と同時進行で、自分で見つけた案件でフランクフルトのワイナリーに併設された和食レストランの料理長というのも進めていました。

(いつか、検索したサイトとかはまとめようかな。)

 

メキシコ、ケレタロ案件はメキシコシティから、車で150キロくらいの場所で、日本資本の自動車工場がメキメキと進出している場所だとか。。そこでの日本人駐在員向けの中型ホテルの総料理長ということでした。

 

どちらもスカイプ面接まで持ち込み、良い感触、、。

ってか、フランクフルトの案件は、ハノイにいる段階でOKでちゃいました。

(その時期には保留だったハノイの辞職も丸く収まり、帰国日も決定していました。)

 

さて、なんちゃってシェフだったわたくしを、贅沢な選択肢まで持てるようになるくらいまでわたくしを育ててくれたスタッフ、ハノイのBAR友達、、ともお別れの時が近づいてきました。(忘れません。ハノイのスタッフよ、友たちよ。。ありがとう。。)

 

メキシコ、ケレタロ案件進行中、フランクフルトOK出ちゃってVISA手続き方法進行中、、。それでも、貪欲に喰らいつく。。。

 

そして、意中外の意中、メキシコに目が向いてしまったわたくしの、どうせなら、

「メキシコ、求人、和食シェフ」で、さらなる検索の海に泳ぎだす迷走が始まっちゃったのです。。

 

メキシコ"Crazy Chefとの出会い"

フランクフルトの安全パイを手に入れたわたくしは、それでも、「残り少ない歳の稼働能力」をいかに楽しむかのワクワクを抑えられないまま、

一旦、目が向いたメキシコっていう国で、もっと、なんかないかしらん。。。と、、

"メキシコ情報、求人" 検索に、帰国の日まで、精出しました。

(マジ、これは事実)

 

行き着いた先は、「メキシコ掲示板」

んな、サイトがあるんですね〜〜。日本でいえば、「ジモティ」みたいなサイトです。

 

そこで、見つけちゃったんだな。。。

"和食シェフ急募!問い合わせは「Crazy Chefまで」"

もう、コンタクト試みるしか、ないっしょ。。。←ホント、単純。

 

"メキシコケレタロ案件進行中"

 

"フランクフルトOK, VISA関係書類集め"

 

そして、新たなる、"Cazy Chef"とのコンタクト、、

 

んな、三つ巴を抱えながら、ハノイのスタッフ、BAR友達、、とのお別れの日を迎え、

ハノイを出ることになりました。。。胸で泣きながらね。。。

 

ほんと、このあとの年末年始は、迷走、暴走の始まり、、だったのは、ちょう懐かしい。。(まだ、数ヶ月しか経ってないけど。。。)

 

次回は、動きすぎて、吹き出物だらけになっちゃったことと、メキシコカンクン近くのトゥルムに落ち着くまで。。。をかけたら良いなあ。。。

 

 

50歳からでも海外就職したり、シェフになってみたり

 

した記録がなんかの足しになればよいかと存じます。