これは、50歳を過ぎてから海外に出てシェフをしているわたくしの記録です。
忘備録的な感じかもしれませんが何かの参考になれば幸いです。
日本での4日間
着いたら2℃の東京
ロスでの奇跡的なユナイテッド航空の対応と、モーダッシュのおかげで予定通り2/10日の午後に、実質トランンジットも含め、約30時間ほどかけて、全財産のバッゲージを取りに東京につきました。
27℃のカンクンから着いた身にはこたえる、まさかの...
さ、さ、寒い!。。。
そら、しょうがない。。。
調理師免許のないやつが揃えなくてはいけない書類
寒くても、4日間でやらなくちゃいけないことは山ほどある。
・公証人役場に行って、コンサルさんに書いてもらった推薦状の証明をもらう。
・大学の卒業証明を英訳して、公証人役場で証明をもらう。
・食品衛生管理者の免許の英訳付きアポスティーユ(外務省の承認印)
・戸籍謄本とそれの英訳付きの証明印(公証役場)
果たして、55歳をとうにすぎようとしているわたくしが日本以外で働くためのVISAを取るには、、、、
上記の書類は必須!なのです。(ハノイで働く時の経験上、得た知識)
なぜなら。。わたくしちゃんとシェフらしきものになってきておりますよ。
が、しかしですねぇ。。。
何でもかんでも計画性なしに人生進めてきてしまったから、
調理師免許、持っていないでござります。
まさかの、無資格、無保険、無免許。。
(正確には、書道の免許と永遠に使わない車の免許、国民保険と、健康保険はかろうじて保持。だって、ニッポン国民に属する世帯主ですもん。。)
どこかの外国でシェフとして働くためのVISA取得のためには、大抵の場合、調理師免許
必須のようです。
ところが、長くデザイナーを生業としてきて、いきなり思いつきで、
日本橋でカフェレストランを初めて、その延長上でシェフ志願を初老に差し掛かったお歳で思いついてしまった身の上、、調理師免許、栄養管理師免許なるものとは縁もゆかりもないまま、、、きてしまったのです。
そんな身の上ながら、ハノイで拾っていただきまして、フランクフルトの案件から、
オファーをもらった時の経験上、上記の書類さえあれば、なんとかなる!!。。
という、知恵だけはありました。
(アジア、フランクフルト、ヨーロッパもそうですが、メキシコでも、これらの書類で、なんとかなるようです。なぜなら、大使館関係のVISA取得項目と合わせて、ヨーロッパとメキシコでは、移民局での労働許可申請の方が、重要みたいです。
アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、では、もっと、ことさら厳しいとは思います。。いまだ、そこらへんでウロウロしたことはないのでわからないのですが、、)
もし、50歳をすぎていても海外で働いてみよっか??みたいな人の参考になれば良いです。
人形町の鮨屋さんで勉強、いや堪能
日本を発つ二日前の2/12日、日本橋人形町の江戸前の老舗のお鮨やさんで和食を堪能させていただきました。
人形町っていう街は、沢山の老舗があります。新しいお店も沢山、、、
ハノイに発つ前にも堪能させていただいた
老舗江戸前鮨さん。
こちらは、日本橋で、カフェレストランをしていた時分、、、
音楽関係のイベントを打っていたりする時に、ものすごく快諾してくださり、その上、個人的にも家族的なお付き合いをさせていただいた、ミュージシャンのお方のお嫁はんのお兄さんが仕切る寿司屋です。
このミュージシャンのF氏、若い時分、アイドルロックグループのボーカルでいらした方でありながら、進化をとげてボイスパフォーマー、ミュージシャン、アーティストとして、今の世界で活躍しておられる方で、、、、、。
そのお方の奥様のお兄さんが仕切っておりますお寿司屋さんでございます。
料理人として、かなりいい加減な始まりのわたくしを、全面的に応援してくださり、日本に帰国した際には、ぜひ、堪能して、芸のこやしにして下されませ!
と、、、ご招待してくださるのです。(もうちょー嬉しかです)
相方DOMINNGOと約束の時間に暖簾をくぐると、、やあやあやあ!といつもの
声量のデカさでF師のお出迎え。
普段は、夕食は軽くしか食べないわたくしですが、た〜ぷり、堪能させていただきました。
前菜から始まり、刺身、焼き物、酢の物、お寿司、
大将は英語もペラペ〜ラで、昔、ハーレーでアメリカ縦断したこともある強者です。
昭和初期に建てられた店内で、昔話やら、これからのことについて盛り上がりながら、
わたくしは、握りをひっくり返してみたり、刺身の切り方のコツを大将に聞いたり、、
とても贅沢なお勉強をさせていただきました。(ありがとうございます。ぺこり)
*このお鮨屋さんに興味を持たれた方はお気軽にお問い合わせください。後々、場所な
どの詳細はアップするつもりです、、、
出発前日
朝から、書類の確認に追われ、新しい包丁や足りない道具を買いに日本橋に走り、パッキングに追われ、ながらも夜は友たちや仲間が集まってきてくれて、行ってらっしゃいの会で、大騒ぎしました。嬉しかったな〜。みんなありがとう。。。
この時、騒ぎすぎ、ハグしすぎて、顎のところの吹き出物がすれちゃって、トゥルムについてからも1ヶ月は顎に絆創膏を張っていたのは本当です。
ちょっくら行ってきます
4日間の東京滞在を終え、出発当日の朝、友達が可愛い我が子「やきそば」ちゃんを連れてきてくれて、別れを惜しんだ後、成田に向けて出発しました。
今回はさすがに長旅はやめて、メキシコシティへの直行便にしました。
山のものとも、海のものともわからない、VISAが降りるかどうかもまだ未確認のまま、
でかいバッゲージと共にいざ行かん!!
待ってろ!トゥルム!バレンタインに到着でぃ!!
50歳からでも海外就職したり、シェフになってみたり
した記録がなんかの足しになればよいかと存じます。
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