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日本を離れてお散歩中


50歳からの海外就職 ノマドシェフになるまで2話目

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これは、50歳を過ぎてから海外に出てシェフをしているわたくしの記録です。

 忘備録的な感じかもしれませんが何かの参考になれば幸いです。

 

今回は日本を出るまでの一話目、の続きです。

 

一話目はこちら

www.ykkynkky.com

 

      。。。。。一話目の続き。。。。。

 

     

 

 

第二話目 ハノイ ノイバイ空港初上陸

空港からホテルへの道すがら社会主義国だと知る

でかいスーツケース二個とLVのキーポル60ボストンバック(実は隠れLVファン)に全財産を詰めて、ハノイ、ノイバイ空港に降り立ちました。

 

タイ、マレーシア、カンボジア、中国、香港、インドネシア、ネパール、フィリピン、シンガポール、バングラディシュ、モルディブ、スリランカ、、、

東南アジアの国は結構過去に行ったことがありました。

(仕事、バカンス、家族旅行含めて)

 

でもなぜか、ベトナムには行ったことがなかったので、初上陸です。

 

地理とかに疎すぎるし、たいていの場合、なんの下調べもせずにいくのが常で、

ベトナム、ハノイへの情報もまるでありませんでした。

キッチュで、ノスタルジックな雑貨が楽しい。。みたいなファッション的な情報は持っていましたが。。。

 

空港には、契約先の4星ホテルで、レセプションの仕事をしている日本人のAMIさんが

迎えにきてくれていました。

ホテルのお車 "メルセデス"で、いざ、ハノイ市内に。。。

初対面ながら、さすがレセプションをしているだけあって、ホテルまでの40分間、いろいろと市内の説明をしてくれます。

 

市内までの道のりで、でかい看板が道の両脇に立っていたりするのですが、、

あれ?んんん?

なんか、イメージ中国っぽくね??

 

わたくし:看板の絵が中国っぽいですねぇ

AMIさん:あ、公安の募集とか宣伝の看板多いですよ。

わたくし:んんん?公安???

AMIさん:ベトナムは社会主義国だから、警察じゃなくて、公安なんです。

わたくし:社会主義国?中国的な??

AMIさん:そうですよ。知らなかったんですか?知らないでベトナムに来たんですか?

わたくし:えええ〜〜!!??知らなかったとです。wwww

 

みたいな会話を経て、世界の中でもはや少数派になっている社会主義国の中の一つだと知ったわけです。

チュオンズオン橋を渡り、年がら年中大渋滞の市内に入っていきます。

 

人、人、人、

バイク、バイク、バイク、

車、車、車、、、、

ものすごい喧騒です。

そのうち高層ビルとかも見えてくる。。

 

わたくし:すごい人ですね〜。それに都会ですね〜。もっと牧歌的なところかと思って

     ました。

AMIさん:一応、首都ですからねえ 。

わたくし:え?えっ? えええ〜〜!!!???

AMIさん:そうですよ。知らなかったんですか?ベトナムの首都ですよ。ホーチミンは

     首都ではないですよ。

わたくし:(そういや首都とかどうのとか考えてもいなかったなあ)←心の中のつぶやき

 

地球の歩き方は買っては来たけれど、読む暇もなかったし、飛行機の中では爆睡していたし、、まあ、それが仕事を左右するわけではないし、まあ、いいか。。くらいなものでした。

のちに、ここは社会主義国なんだって理解できるような場面はいくつもありましたが 

ファーストインプレッションでは、インフラも整っているし、経済成長はめざましいしらしいし、高層ビルもあるし、東京と変わらないなあ、思っていました。

(いや、勝手に牧歌的で自然が沢山、と、思い込んでいただけだけど)

 

ホテルに到着 自称セレブシェフ生活の始まり

40分ほどののち、契約先であるホテルにつきました。

で、で、でかい!! (←当たり前だ。4星だし)

フロントのラウンジでは、GMが迎えに出ていてくれました。

挨拶をするものの

シングリッシュと呼ばれるシンガポール人の英語、全然わからな〜い。

いやいやそもそも、あんた、英語話せないから、片言の挨拶くらいでしか と、

自分にツッコミを入れながら、コーヒーを片手に明日から始まるオリエンテーションについての説明を受けます。

(GMとの会話はAMIさんが通訳してたのでその場はなんとかなった)

 

ところで、余談ですが、このシンガポール人のGMったら、まだ赴任前のあたくしにFANCELの化粧品を免税店で買って来てほしいと大量に頼みやがったのです。んなもんで、あたしゃ、成田の免税店で買い物するために早めに成田に行く羽目になり、、、、

後でわかったのですが、このGMは若い奥さんの尻に引かれっぱなしで、その奥さんは日本製品大のご贔屓だったんで、あたくしが日本に帰る度ならず、あたくしの娘や友達が来るなんて、一言でも漏らした日にぁ、これでもかってくらい買い物頼んでくるのです。(その節は、みんなかってきてくれてありがとうございました。)

 

まあ、そんなことはどうでもいい話で、、、

 

一通り館内を案内され、ホテルの中にある外国人従業人が住むための階にあるわたくし用の部屋に到着しました。

まあ、普通の外国のホテルのツインルームです。

ここから4年間はわたくし専用の部屋で、家族が来た時とかは、泊まることができる場所です。

そして、この日から、洗濯付き、部屋の掃除付き、食事付き、生活に必要な光熱費とかなど、すべてお金のかからない自称「マダムセレブシェフ生活」が始まったのです。 

 

キッチンに行ったらコックではなくてシェフ、料理長だった

翌朝10時に二階のミーティング場に来るように前日言われていたので行きました。

各部門のマネージャーが揃い、朝の報告とかなんかいろいろ言っています、、、が、

 

わかるはずがぁない

 

だって、英語できんて言ったやろ。。。挨拶程度しかできんし。。。

(英語はできないけれど素晴らしいコミュニケーション能力はもちあわせていたりする)

 

とりま、あまりにも、あたくしがわかっていなさそうだったので、GMが急遽、AMIさんではなくて、ベトナム人で日本語勉強中のすっとんきょうな声を出すニンちゃんを通訳につけてくれました。

(その後、彼女は、2ヶ月間くらい秘書のように寄り添ってくれていました。)

 

ミーティングも終わり、オリエンテーションなるものを受けました(←何にも理解してないけど) 日本でいう新入社員が会社の概要とか、規則とかを説明されるみたいなのだと思います.

 

いよいよキッチンに行きます。

なんと言ってもハノイでは4星ホテルなので、キッチンもそこそこでかい。。

ウェスタン&ベトナミーズキッチン、チャイニーズキッチン、Dim sumキッチン、ベーカリー、パティスリーキッチン、そして、。。。

 

ジャパニーズキッチン

 

他のキッチンに比べると小さいけれど、8人のスタッフ全員直立不動で、、、

 

ハローマダム!!!

 

。。。。。。。。え?え?え〜〜〜??

 

この時初めて、自分が着任したポジションが

たくさんいるコックの中の一人ではなくて、料理長!!

だったと知ったわたくしは、のんきすぎる。。。

 

もうそこは、元来生まれ持ったどうとでもなれぃ!!と言うわけのわからない気合いが落ち着き感だけは維持させています。

自分が、まさかの料理長の肩書きで赴任しちゃった。。しゃあない、、、

 

肩書きって不思議

とりま、料理長になっちゃったわけだし、とにかく自分のスキルを「料理長」と言うポジションに見合うようになんとかしなくしゃいけないし、。。

んなもんで、そこからはワイフィ天国インフラ上等なハノイなので、

YOUTUBE先生のお世話になるしかないわけで。。。

 

脱線気味で、またまた、余談ですが、、、

 

肩書きって不思議だなな〜〜とこんときも思いました。

 

子供達が小さい時分には香川県高松にいたのですが、その時に末のあや坊も保育園に預けられそうだったんで、少しずつ仕事を再開し始めていて、、、

なんせ、地方都市では、デザイナー職なんてなかなかなく、専門学校の講師とか高校の講師に職を見出してしていたんですが、そん時に思ったのが、、、

 いざ、面接に行きます。その後、採用ってなった瞬間!!

さっきまでは、◯◯さん、、だったのが、いきなり、◯◯先生、に肩書き変身してしまうのよ、、、ってのの、すげぇなってのを思い出しました。

 

まあ、どうでも、良いことで 。。。

 

だからあ、、、

 

キッチンに行ったら、ほんまのほんまに料理長だったわけで、、

すべて、和食部門に関することは、自分に決済権がある。。

予算に関しても、購入の仕入先に関しても、すべて、自分で決済しなければいけないわけですねん。。。

それだけではなく、スタッフの管理、人事権など、全てに責任がある。

なんせ、 料理長ですから! きっぱり

 

とりあえず、逃げ口上ではないですが、契約条件の中で、金額についての提示額を

自分から低めに設定しておきました。

料理長の場合は上限で4000$と言うことだったので、GM側から、3200$くらいから始めるか?と聞かれたので、自ら2800$から始めたいと申し出ました。

最初は3ヶ月後、6ヶ月後、そのあと、継続していくかどうかの相互の確認ができる仕組みになっていましたので、自分から低い額を提示して、もし、このホテルにおいての料理長のスキルにあっているのを確認してから上げてください、。と、志願しました。

(その後、ちゃんと上限近くまで行くことができました)

 

こうして、わたくしの4年間のハノイでの料理長、なんちゃってシェフ生活が始まっちゃったのです。

 

続きは第3話目で。。。。

 

50歳からでも海外就職したり、シェフになってみたり

 

したい人の参考になれば良いかなと思います。