これは、50歳を過ぎてから海外に出てシェフをしているわたくしの記録です。
も、四話目になりました。
忘備録的な感じかもしれませんが何かの参考になれば幸いです。
今回は、前回の下血後の話、ハノイのホテルを離れるまでのことです。
前回の三話目はこちら ↓ ↓ ↓
半世紀を経てきた体には今まで通りが一番
鮮◯がもたらした出会い
[鮮◯がもたらした出会い] とか言っちゃうと、おい!って言われそうですが、。
鮮◯も止まったし、養生して、生活を見直そう。 ではなくて、鮮◯が教えてくれた
肉体と精神の声に耳を傾けた結果(それほど大げさなことではない)
そうだ!BARだ!バーに行こう!ハノイにもバーくらいあるっしょ。
香川県にいた時にもお友達の旦那様に全員の子供を預けて、9時になると、
おし!デッパツ!とか言ってお気に入りのバーに行っていたりしたなあ。。。
(当時、一家につき、三人の子供もちのママ、三人が繰り出すことになると、その旦那さんは9人も幼子を深夜どころか、翌朝までみていてくれたものでした。恵まれていたママたち。。。〇〇パパさん、ありがとう!)
神奈川にいた時には、駅前の小さなバーの店長と仲良くなり、結婚パーティーに呼んでくれたり、日本橋でお店を始めるために神奈川を離れる時には食器や調理器具いただいてとても助かったなあ
WALK とVIRTH
まずは、フリーペーパーを物色(フリーペーパー大好き)
次にやはりインターネット、、「ハノイ バー」で探しまくる。。。
おっ!出てきた!
もう、7年ハノイでやっているんですって。
なになに?半年くらい前にもひとつオープン?
おっ!近いじゃないかい。。
子供の習い事とバーは近いのが一番!
日本人経営なら、まだ、ベトナムドンの数え方すら理解してない下血あとのわたくしにはちょうど良いかも、、。。
日本人街、キンマ地区にあるそのバーの名前は Virth。
店長とベトナム人スタッフで切り盛りしているお店でした。
店長は中学校卒業後にイタリアに渡り7年もいたという、つわもの。
随分といろんな話を聞いたり、もともと愚痴とかはあまりいうタイプではないのですが
ベトナム語も英語もたいして上達しないまま、毎日てんこ盛りのテーマを抱えていると
愚痴のひとつも出てきたりするのですが、よく飽きずに聞いてくれました店長さん。
ありがとう。。。
また、ベトナム人のスタッフとの関係ややりとりをみていて、自分のスタッフともこうすれば良いんだ、。と随分と参考になりました。
そのスタッフの中で一人英語を使える子がいて、その子と会話するうちに少しずつベトナム人の英語を聞き取れるようになったかな。。。
そのバーの親分でオーナーが経営する一店舗目がWLAK。
もう7年もハノイに根ざし、ハノイ、バー道を爆進しています。
もう腹がよじれるくらい話がうまくって、、。そして、ウイスキーについては天下一!
そして、料理がうまい!(わたくしは夜8時以降は物を口にしない習慣なので、つまみ食い程度でしたが。。) 彼はもともと設計畑の人だからハノイにきて久しぶりに設計の話したり、デザインの話したり、、あっ、あたくし、まだまだ、デザインのこと覚えてんだ、。って思い出させてくれました。
この二人に仕事が終わったあとに、ハノイ市内のバーや、ガールズバーに連れて行ってもらい、自分の友達がきたら、連れて行ってあげられるような場所も沢山教えてもらったかな。。。
女神は行動したもの達のために道を照らす
このバーで出会った人たちは、とてもユニークで良い人達ばかりで、時にインスパイアされることもあったり。。。
美容室を経営する◯ちゃん、沢山の日本人の贔屓さんを持っていて、ハノイの子たちを美しくしたいと日夜、頑張っている。。。
セメントタイルの美しさを世界一知ってるMさん(決してマゾのMという意味ではございませんよ)
彼の一貫したぶれない精神とスタイル、人との関係は、素晴らしく男道を突き進んでいて、尊敬いたしやす。 オレも男らしくいくぞ〜〜!って、。(おい、オマエ女だろって)
仕事の突き進み方ときたら、華麗に大胆にハードボイルド、。
繊細なものの味方と洞察力、。酒と女とそして美しきセメントタイルを肩に抱きながら、きっと、世界中を飲み込んでいくこといくことでしょう。。。
そんな人たちに共通しているのは、とにかく即動く、。
よく聞くような日本に限界を感じて、とか、不自由さを感じて、、とか、で、海外に出た感じではなく、ここ、ハノイで勝負するため、ハノイから、日本の良さや、美しきものの見方、精神を発信して、唯一なる美しき高みを目指している人達。。
そして、ベトナムが大好き、ベトナム人にもインスパイアされながら、日本が大好きで、日本人としての誇りを持っている人達、、。どこにいたって、世界を変えられる力に満ち満ち溢れている人達、、。不自由さがあったなら、自らの力で挑んでいく。
そんな人達の美しきあり方を目の前にして、
おし!オレも果てしなき道を行くぞ!!とか、思ったりして、、
ま、とりあえず、半世紀以上生きちゃったわたくしにお付き合いくださり、ありがたき
30代、40代の友よ、。いつかまた、酒、飲みたいっす。。
ん感じで、昼間は、いつかほんまもんのシェフになるために「なんちゃってシェフ」として、研鑽を積むハノイ生活を4年近くの間過ごしてきた記憶は懐かしいなあ。。、
スタッフとの飲み会は路上
そう、スタッフともよく路上で、SAKEを飲んだりもしました。当然仕事が終わった後なので、集合は夜の10時。ホテルの横にある路地だったり、たまに屋根のある鍋屋だったり、、。
キッチン内では罰金制が取られていたので、例えば、何回注意しても物の片付け方が悪かったら、50,000vnd。とか、身だしなみが悪かったら、20,000vnd。とか、、、
それをキッチンの大蔵省リリーが管理していて、貯まると繰り出すのです。
当然、わたくしとのコミュニケーションは、身振り手振り。
それでも、楽しいんだな。。
乾杯しては、「マダーム、ハッッピィ〜〜??オレもハッピィ!」みたいなことくらいしか共通語がなく相変わらずないんだけど、、、。
四つ星ホテルの和食レストランはKTV付き
そんなかんなで過ごして、4年近く経ち、キッチンの意識もかなり向上し、ホテル内の
レストランの売り上げを前任者の4倍以上までにしたある時、転機が訪れたんだな、。
このホテル、はい、確かに4星ホテルです。
でも、少し、変わっていて、、。
というか、社会主義国ベトナムにおいて、うまいこと仕組みを作ったなあ、、って感じのホテルで、、。
亡くなった先代のオーナーが二十数年前にベトナム人オーナーと共同で始めたこのホテル。
ベトナムではよくある「KTV」(カラオケテレビジョンの略みたいです)が、地下に鎮座するホテルなのです。
手っ取り早くいうと、、、、
要は、政府にちゃんと奉納金して、和食を楽しみながら、日本発祥のカラオケを楽しんで、その後にはオプションもありますよ。みたいな。。。(もはやアミューズメントパーク)
まあ、接待で使う企業側としては、楽チンな仕組みです。
出張で来てそれなりのホテルに宿泊、。朝食も日本食が揃い(出しまきとか出していたもんね)、接待には和食を食し、カラオケで楽しめ、綺麗な方も選び放題。。。
まあ、わたくしも最初は、びっくりしました。
だって、寿司カウンターがあるレストランの前方に行くためにおねえさんたちの波をかき分けなくてはいけないのですから。。。
えっ??聞いてないから、、この仕組み。。。。
開き直りも早いわたくしなので、それならその状況を楽しむしかないな。と思い、
毎日、こレはシリコン、、これは本物、、、とか、わけのわからない楽しみをみい出しました(のは本当)
そのうち、某大企業の幹部の方がそないな席を設けられて楽しんでいる最中に、
そりゃあ、なんちゃってシェフでも、お席に顔だして、ご挨拶くらいはいたしたりするわけです。
わたくし:「本日はありがとうございます。お味の加減はよろしゅうおますか?」
某企業の幹部様:・・・・(右手はおねえちゃんの肩の上、左手はももた、、、)
えっ??日本人???
わたくし:は〜い。日本人でございます〜〜。このたび、赴任いたしましてぇ。。
某企業の幹部様:(両手をおいたまま) 、ハ、ハずかしいところばお見せいたしましたとです。。。
みたいな場面を何回かあったのを楽しんだ悪趣味。。(は、事実です)
ってことがたま〜にあったりしましたが、もちろん、きちんとお食事を楽しんでくださる貴重なお客様も沢山おりましたし。。だからこそ、精進できたわけです。
でも、厄介だったのが、この[KTV]の仕組みと、ホテル側のGMとの目に見えざるめんどくさい戦いに知らん間にわたくし、巻き込まれはじめていたのです。
そろそろ動くかな。。
なにじんであっても、未来のない、くそのような争いなどが、かなり苦手、。
そろそろ動かなあかんかな。。。
スタッフもちゃんと育って来たし。。。
で、決めました。
や〜めよっと!!!このホテル、。。
軽く、決断した意思がわたくしをまさかのメキシコまで、運んでくれました。
続きは、五話目で。。。。。
50歳からでも海外就職したり、シェフになってみたり
したおバカな記録がなんかの足しになればよいかと存じます。
追。。。。。バーのくだりは、現在、かっちょよく、新規オープンしたりしているから、細かい住所とか、案内をきっと、後ほど、書き加えたられたらよいかな。。。