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日本を離れてお散歩中


夏休みの始まりは、毎年12時間汽車に揺られていたという話。

今週のお題「夏休み」夏休みネタをもう一つ。

夏休みの始まりは、毎年12時間汽車に揺られていたという話。

生まれた時から小学生6年まで、家族で父の実家に1ヶ月間行っていました。

って、よくある話なのですが、その工程が大変!

 

私の家は日本最北端稚内。父の実家は北海道最南端函館

 

もちろん当時も飛行機はあったのだけれど、家族四人で移動となると、普通のサラリーマンの一家は当時は汽車の方が俄然お得だったので、選択肢は汽車!

 

汽車ですよ!電車じゃありませんから!

 

まず、夏休みの始まる3日くらい前に、弟と、12時間分のおやつを買いに鉄道の購買部か農協にいくのです。

いつもは厳しい母で、おやつと言っても買い食いみたいなことは許されず、体に悪そうな色のついたものも家にはありませんでした。お小遣いもさほどもらっていなかったのですが、この夏休みの行事の時だけは、わりかし、一人、300円とかもらえてました。

さて、弟と二人で、山ほど(その当時の自分たちにしたら山ほどに思えたのね。)

そして、普段は食べさせてもらえないような、たんま〜りカラフルな色のついたチョコやら、飴玉、したがオレンジ色になるようなジュース。ラムネみたいな駄菓子、、

しこたま抱えて、家に帰ります。

 

一学期終了のその日には、速攻で家に帰り、着替えをリュックに詰め、さっき学校からもらったばっかりの夏休みの掟、宿題やら、詰め込んで、(そういう時、必ず、鉛筆ケースや絵の具を忘れるのはいつも弟だった)

パンパンになったリュックの横に風呂敷に包んだおやつ箱を起き、ウキウキしながらお布団に入るのです。

 

母はといえば、、、せっせと、お弁当を作っているのですね。毎年、毎年、同じように、、

 

なんせ、当時、宗谷本線を走る、急行宗谷(だったと思う)は稚内から函館まで、ずーと600キロくらいを乗り換えなしで走るおうちのように12時間乗っているのです。

朝の7時に稚内を出発して、夜の7時に函館に着く、、現在のように札幌で乗り換えとかではなかったのです。

 

で、母は、朝ごはん(汽車の中で食べる)、昼ごはん(汽車の中で食べる)、夕ご飯(軽めに小腹を満たす程度)のお弁当を家族人分作るわけです。

子供達にして見たら、憧れの駅弁の方が嬉しいわけですが、そこは普通のサラリーマン家庭の旅行ですからしょうがない。

 

まず、大変なのが南稚内で乗車するのですが、まずは、父が早起きして、座席確保のために駅に一足早くいくんですね。(普通のサラリーマンの家庭なので当然指定席なんかじゃないし) 

で、一足遅れて、私と弟を連れて母は南稚内駅にいくのです。

 

さて、改札を抜けたら、父は猛ダッシュ!!なんせ、4人分席、1ボックスの普通席を確保しなくちゃいけないんですから!

遅れて、私と弟もとことこ猛ダッシュ!

大抵、父は列の一番めを確保しているのです。

稚内駅を出た汽車が遠くから南稚内駅を目指してきているのが見えます。

 

やっとこさ、席の乗り込んで、身の回りを整えます。網棚に荷物をあげたり、おやつの位置を決めたり←これ、重要。

そこから、長〜い長〜い旅が始まるのです。

12時間!!

乗りっぱなし。。。

豊富を過ぎたあたりで、母がおもむろに朝ごはんの包みを開けます。

おにぎりとか、唐揚げだったり、卵焼きだったり、ウインナーだったり、、、

まあ、いつの頃でも、大人になっても乗り物の中で食べる食事は美味しいもので、、。

 

朝ごはんが終わると、さあ、食べていいんだな!おやつ!

弟とは年子で一つ下、、しかし姉であるわたくは、当時支配型親分。当然、おやつの食べる順序、配分、などの権力は姉にあり!!

な感じの悪ガキであったのです。

まあ、楽しくおやつなどを食べて、その後は、持参した漫画やら、小学館から出ていた雑誌などを読んだりして過ごしたり、、、

 

そろそろ飽きてくると、その頃には旭川も近くなります。

旭川に着くと、確か当時10分以上は停車していたと思います。

お弁当もおやつも万端なのですが、父は、外に出て、ウロウロ物色。。

そして、そこは大人の特権!豚汁を買ってきてくれます。

父はというと、、、停車の間を利用して

ホームでそば食ってるじゃあ〜りませんか!!

ずる〜い!と弟と叫んで(豚汁買ってもらってるにもかかわらず)ブヒブヒ言います。

そうこうしているうちに旭川で乗り込んできた車内販売のお姉さんが山盛りのカートを押して通ります。

で、ブヒブヒ言っている子供達にしようがないからアイスクリームを買ってくれるのが常の父でありました。

やった〜〜!!ゲットアイスクリーム!

 

旭川を出れると、深川、砂川、岩見沢と、小さな駅を少しずつ停りながら、札幌に向かっていきます。

「岩見沢を出ると〜」と言う車内放送が流れてくると、子供ながらに

あ〜、もうすぐ札幌だ〜〜、やっと半分きた〜〜。と思ったものです。

 

さて、札幌についたなら、

ほとんどの人が降りて行ってしまいます。

ほんと、まじ、函館まで、乗ってる人たちあまりいなかった記憶あります。

札幌までは、隣の席のおばちゃんやら、後ろの席のおじちゃんやらがかまってくれたりして、「旅は道連れ、世は情け」みたいな旅情を子供ながらに感じたりしたりします。

 

札幌からは、新しいお客さんたちが乗ってくるのですが、さすが札幌、ちょっと都会の空気を持った家族連れやら、バックパッカーやら、、

そう、、、そういえば、当時は、バックパッカーなんて洒落た言葉がなく、リュックを背負った若者たちは「カニ族」 って呼ばれていたのを思い出した!

でっかい荷物を背負って、汽車の通路まっすぐに歩けなくて、カニさんみたいに横歩きだから、カニ族って言われていたらしい。。

こんな感じ↓

www.google.com

 

たくさんの人が乗り込んでくる札幌では、悪ガキ達も一応きちんと席に座らされるので、通路に顔を出して、新入りのお客をチェックするどや顔のわたくしと弟。

 

そんなかんなで、札幌を出発した急行宗谷は同じ線路だけれども、函館本線に名前を変えて小樽までは、なんとな〜く都会の空気を出しながら、走っていきます。

もう何時間も乗っているわたくしと弟は、探検!と称して、乗った時から何回も先頭車両から、最後の車両まで、ウロウロ行ったり来たりがお楽しみ。

途中で、おやつの配分で喧嘩しながら、、、

 

小樽を出ると、急行宗谷は長万部に向かうわけですが、その頃には母と父はうたた寝しているし(てか、大人が乗り物に乗るとすぐ寝ちゃうわけは大人になったらよくわかりましたわ)

おやつにも飽きてくるし、持ってきた漫画や本にも飽きてくるし、、、

 

長万部までのあたりは割と森が多かったり、カーブが多かったりしたのを覚えています。

で、悪ガキ姉が思いついたのが、、、、、、

 

姉:弟よ!あんた、一番最後の車両に行って、窓から顔出しておくのよ!

弟:へっ??

姉:お姉さまがね、、(まじに、弟は幼少の頃、当時支配型親分のわたくしをお姉さまと呼んでいた)先頭車両に行って、一番前の窓から、鼻紙、飛ばすから、あんた、受け取るのよ!

弟:へっ???

姉:カーブばっかりだから、ほれ、見てみなよ、(窓から顔を出すきょうだい)汽車って長いから、後ろの車両見えるでしょ?ぜった〜〜い、鼻紙(当時、ティッシュなんて洒落た用語を知らなかったし、、) 窓から飛ばしたら、一番後ろの汽車の窓に飛び込んでいくから!!

弟:へっ??????

姉:いいから、あんた、一番最後の車両に行って、窓を開けて、見張ってんのよ!これが成功したら、日記にかけるんだから!!

弟:へええ〜〜〜おっけええ〜〜イ(お姉さまに逆らえない弟)

 

で、悪ガキ達は、壮大な実験のために寝ている親を尻目に、先頭車両と最尾車両に別れて向かっていきます。

支配型親分の姉の手には結構な量の鼻紙。。(後で母に怒られたのは必須)

 

当時のディーゼル車は、窓が上下に空いたのでできたことですが、もちろん、今は窓は開かないですから、良い子の皆さんはこんなことできませんよ。

でも、そこは、昭和、、、そんなことができました。

 

先頭車両の空いてる席の窓を開けると、、、おおおお〜〜〜見える見える弟の顔!!

手え降ってるんじゃん!!

で、一発目!!鼻紙、飛ぶ飛ぶ!ピユュうううう〜〜ン!

あっ、、、カーブすぎちゃって、どっか、飛んでっちゃった。。。失敗、、、

 

二発目!!あっ、、、だめだこりゃ、、、

 

てのを、何回か繰り返しているうちに、まさかの!!!

ピユュュュユュユュ〜〜〜〜〜〜〜ん!!!

って、飛んで行った鼻紙が、、(なんどもしつこいようですが、当時はティッシュなんて用語は知りもせず)

弟のいるはずの窓に吸い込まれた!!!

しゅるるるる〜〜〜〜〜ン!!!って!!

 

発案したくせに、超びっくりした姉は、慌てて、先頭車両から、弟のいる最後尾の車両に向かいました。

弟:お姉さま〜〜〜〜〜!!鼻紙、きたよ〜〜〜!!汽車ってすごいんだね〜〜〜!!

姉:あたり前田のクラッカー!(とは言ってません)

弟:すごいね〜〜汽車ってすごいねえ〜〜。次は、僕が、鼻紙飛ばすね!!

姉:へっ??あんたねぇ〜お母さんに怒られるよ。一回できたから、もうおしまいね。←成功したら飽きるタイプの支配型姉

弟:えええええええ〜〜〜〜〜!!!!???

 

みたいなことを延々と繰り返した幼少時代の夏休みの12時間の長旅。

 

そして、なぜか、母が用意した三食も早くになくなり、長万部に着く頃には、普通のサラリーマンだってのも忘れたふりして、父は、長万部名物のカニ弁当を買っちゃったりなんかします。

悪ガキ達もそんな頃には疲れて、うとうとです。

長万部から、森(シンプルすぎる駅名)に着いて、大沼公園を通り過ぎたあたりから、もうすぐ函館な感じが漂ってきます。

 

朝7時に稚内を出発をして、夜の7時に函館に到着。

「次は終点函館〜。」みたいなアナウンス流れます。

 

函館に着いたら、おじいちゃんとおばあちゃんが必ず迎えにきてくれていました。

ちょー懐かし〜〜〜〜。

じーちゃんとばーちゃんの家に着いたら、必ずスイカが待ち受けていて嬉しかったなあ〜〜。

あ〜〜、このじーちゃんの家がまた、すげえ家だったから、本当は続けて書きたいけど、次回にします!

 

お題「夏休み」って、ふつふつといろんなこと思い出しますね!!良いお題!

 

そうそう、今は、少しでも時間縮まったのでしょうか。。。知る由もございません。。

なぜなら、飛行機での移動が多くなってしまったしね。。

 

もう、50年近くの前の記憶なので、少し、さびれていたり、記憶違いのところがあったなら、ご勘弁を。。。

 

ちなみにわたくしは、鉄道マニアではありませんが、乗り物が大好きです。。。

大好きなあまりに、長いフライトも、いとも思わずに、極寒の地に生まれながら、現在は暑いメキシカンな生活を送っているのであります。

 

メキシコ、暑い!!!

 

夏休みの記憶でした!!

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毎日が夏休みなTULUM