これは、50歳を過ぎてから海外に出てシェフをしているわたくしの記録です。
なにかの参考になれば幸いです。
今回はいきさつなどを気のおもむくままに書きました。のちに、実際にはどのような求人サイトを検索したか、、とか、まとめるつもりです。
。。。。現在。。。。。
2019年2月からここメキシコ、カンクンから二時間ほどのトゥルムという小さな楽園の小さなホテルのレストランでシェフをしています。
なぜ50歳を過ぎてから日本を出ようと思ったのか。。。
さかのぼること4年。日本橋でカフェバーレストランをしていた
かれこれ、4年ほど前に日本を出ました。
それまでは東京日本橋の片隅で7年間、小さなカフェバーレストランをしていました。
(そのお店を始める時もそれまでフリーのデザイナーをしてたのに、いきなりの思いつきで始めたのですが)
まあ、色々とあって、お店を閉めることになり、その時に思いついたのが、
そうだ!海外に行ってみよう!
だったのです。
割とただの思いつき。。
料理を作ることが好きだったので、まるで趣味の延長のように始めたお店を7年間続けていく中で、もっと専門的に料理をしていきたいと思い、思いついたのがどうせなら見たことのない国への突撃訪問、みたいな感じで海外就職料理人に目が向いたのです。
日本橋のお店
7年間の日本橋のお店では、自分の気の赴くままに、和食に限らず、食べに来てくださる方が喜んでくれるようなちょっと変わった定食を中心に作っていました。
よく、イベントも打っていたので、そのイベントに合わせていろんな国の料理も作ったりしていました。(懐かしいなあ、、)
イラン料理だったり、サルディニャ料理だったり、モンゴル料理だったり、、、
性格的に一度やり始めると、抜かりなく調べ尽くしたい、とい難儀な性格なのが功を奏したのか、行ったことのない場所、食べたこともない地方のものでも、頭の中でイメージを膨らませて作ると、本場の方々にも喜んでもらえました。
(食べている人の嬉しそうな顔を見るのが一番好き!)
日本橋でカフェバーレストランをやる前は。。。
なんせ、料理人といわれるほどの修行を料理界でしたこともない。
ガチの修行をしたのは、フリーランスのデザイナーになる前にパリコレを持つ大御所の企画室でお洋服のデザイナーの修行を数年間したくらい。。。
(その数年間の修行は、わたくしの性根に叩き込まれ、すべてのデザイン、ものを作るということ、ものを作るということの姿勢はどの世界にいても同じことだということを仕込まれました)
そんなわたくしが7年間、自分のお店で料理をしていると、、、ふつふつと、もっと、やっていきたい、。料理ってこと、もっとやっていきたい、。
と思ったのです。
日本を離れようと思ったきっかけ
がしかし、色々な事情で、お店は閉めることになりました。
閉めることに方向を向けていた時期に同時に、
``自分は何をしていきたいか''と考えて(実際にはその当時はそんなに突き詰めて考えてはいなかったのですが、)
50歳も過ぎているし、どうせ、あと、実質10年くらいしか脳みそまわんないだろうな〜
って、思ったら、、、
おし!世界のどっか見に行こう!?
って、急に思いついたのです。
これには、背景がありまして、、わたくしには、三人の子供がおります
(当時、末娘が大学に入りたてくらい)
彼らは高校時代に、留学したいと希望があったので、お望み通りに、留学に行ってもらいました。
まあ、英語、ペラペ〜ら、TOIEC?とかのスキルも身につけた彼らは、小さい時にたくさんの海外旅行に連れて行ってくれた母がまさかの英語、かなりの下手くそ!
ってことに気づいたのです。
と、プラス、東京のど真ん中、立地条件最高な千代田区に住んでいると、大学生になっても一人暮らし、できな〜〜イ、な不満も子供たちから噴出してきます。
おし!じゃあ、みんな、一人暮らし始めよう!
ママも一人暮らしする方法と仕事探す!
で、思いついたのが、どこかの国に行って、仕事しながら、彼らに仕送りをする。
って案でした。
元々旅行が好きでよく子供達を連れて海外には行っておりましたし、どうせ、残り少ない人生なら(実質的に頭がちゃんと回ったり、体力的な要素とかっていう意味での人生)
今まで行ったことのない場所に行ってみようと決めました。
海外求人、検索しまくる
その時分、初めて知った公邸料理人、という職業に登録してみたり、ネットで海外の求人を探してみたり、、、
(公邸料理人に登録時には散々でした。年齢的に難しいかもですね〜、の連発でした)
さすがに50歳を過ぎていると、冷たい風が吹きまして、、、。
でも、それにめげないところが、のんきなわたくしの良いところ!
せっせと、求人サイトを検索して、応募を繰り返すこと3~4ヶ月。。。。
(そのうち、この求人サイトとか、応募の仕方はまとめたいと思います)
海外求人の検索を繰り返してわかったことは、、、
海外では、和食料理人、寿司料理人に需要がとてもあることを知り、せっせと毎日、毎晩、YOUTUBE先生にかじりつき、和食YOUTUBE修行をいたしました(のは事実です。)
スカイプ面接までこぎつけた
世界中のいくつもの案件の無常のあとに、なんと、スカイプ面接をしてくれる!という案件が出てきました。
その2~3案件がすべて、ハノイだったのです(今考えると当時、と言っても4年くらい前ですが、ベトナム、ハノイでの日本人料理人の需要が日本人在住者の増加と伴って急登りだったのですね)
かなり単細胞なわたくしは、、
おっ!これはハノイに呼ばれている!
という、勝手な思い込みの元、数件のスカイプ案件に挑みました。
わたくしの思惑の中では、スカイプ面接まで、持っていけたら、勝ったも同然!!
みたいなわけのわからない自信がありました(のは事実です)
スカイプ面接受かる!まさかの選択肢まである
2~3案件すべてからOK!
の返事をいただいた時の握りこぶしの入れ具合は半端じゃなかったです。
その中から、選択させていただいたのが、
シンガポール人がオーナーの4星ホテルでした。
(この時点で英語力はほぼほぼゼロ。。とほほ。。)
なぜ、ここを選んだかというと、、、
・英語、ベトナム語を話せなくてもOK(通訳がつく)
・ホテル内が住居(初めてのベトナムなので安心かなと、、、)
・単純に条件が良かったから(仕送りをしなくてはいけないのである程度の金額は必要)
・でかいホテルだから、沢山いるコックの一人だと勝手に思い込んでいた。
(ここ、重要。勘違いの思い込みは時に大きな舵をとります。)
では、なぜ、他の2案件を辞退したかというと、、、
・日本人オーナーだと英語が上達しない。
・日本人村に固まるのを想像した。(あまり特定のコニュニティに属するのが苦手)
んな感じです。贅沢にも選択肢を持てたのです。
(まあ、3~4ヶ月間くらいはただならぬ数の履歴書を送り続け,無常な結果を来る日も来る日も受け取っていたので選択するに当たってはさすがに迷いました。)
決定ハノイ行き
このハノイのホテルに決まってからは、VISAの申請のために外務省に行ったり大使館に行ったり、警察に行ったり、公証役場に行ったり、、
この経緯については、また後ほどまとめたいと思います。
さて、お店も片付けて、千代田区で借りていたアパートも賃貸解除して、山のように沢山持っていた洋服、靴、着物、などなどを最小限必要なものを残し、すべて処分したり、少しのものは子供達のアパートにおいてもらったり、、の作業を経て、、、
全財産をスーツケース2個とボストンバックにまとめ、
ハノイに向かいました。
この時点でハノイがベトナムの首都だということも知らないトンチンカンぶり。
フライト時間は5時間50分、。ハノイって近いのね。。。
そして、ハノイに到着した後のわたくしが知ったのは応募して受かった案件は。。。
「コック」じゃなくて「シェフ」だった!!
大勢いる「コック」のうちの一人ではなく、まさかの4星ホテルの和食部門の料理長だったのです。あわわわわ。。。。
次回2話めに続きます。。。。
50歳からでも海外就職したり、シェフになってみたり
したい人の参考になればシリーズにしていこうと思います。